なんか、見たくない
何となくXを見ていると、”新しいAI!”とか、「こうゆうこともできます!」みたいなポストが目に入る。
私はそれ以上はあんまり見ないようにしています。
理由は、「何か見たくない」から。
分かる人います?いてほしい…。
この気持ちなんなんですかね?自分でも良くわからない。
言語化能力が低い弊害です。
感情の観点で見ると、「焦り」があるのは間違いない。でも、AIが沢山のことを代わりにやってくれるようになったとしても、その情報を全て得ないといけないというわけではないと思う。何でもやる人間なんていないし。
多分この謎の焦りの正体は単純に
「勉強しなきゃ遅れた人間になる…!!」
「フル活用してる人間と差が広がってしまう…!!」
って感じだけど、その一方で
「やりたくない」
「めんどくさい」
「何から手を始めて何処までいけばいけばいいの?」
「てかAI使ってやりたいこととかないし」
みたいなのもあると思う。
老化
新しいものにものに手を出せないのはな?
老人なんよ。
俺、まだ26歳よ?
もうなの?もう新しいのダメなの?俺。
頼むよ…。
何が?って感じだけど、頼むよ…(頼む)
結局努力は必要
でも実際、AI生成で得た知識の全てを脳内にブチ込めるわけじゃないし、「誰でも簡単にAIで〇〇が作れる!!」みたいな広告あるけど、それって
“存在を知ってるか知らないかだけの差”であって、知った人間にはすぐ同じ領域まで到達されるものだと思う。ちゃんと努力して手に入れたものじゃなきゃ、すぐに追いつかれるよってこと!!
ん?
普通は努力しないと手に入らないものが手に入るものがAIなんだよな。
ん?
努力とは?
AI…努力…(思考停止)
創作界隈への懸念
画像生成AIとか、ずんだもんとか、四国めたんみたいなトークソフトとかもそうなんだけど、
手軽に始められて簡単なものって、すぐに溢れるよね。
AIとか使って一発当てようとするのってAIの使用有無に関わらず、速度の方が大事だと思う。
しかも一度その界隈で人気を獲得したら、大体その最初に注目された人がずっと見られがち。
問題は、創作の敷居が下がることで偏った作品を見続ける可能性がある、ということ。
何故偏った作品という表現をしたかというと、別にそれが悪い作品とは限らないから。
AIが描いた絵やアニメは上手いし、書いた文は丁寧で読みやすいし面白いし、動画も面白いし。
それは否定しない。
ただ、AIが作りました感みたいなものがある。
感覚的なものだけど。
もし今後、このAIによる創作物からこの違和感がなくなったらマジで凄すぎだけど、そうでない場合。
AI創作物を見た人がAIから得た発想でAI創作物を作るというループになる気がする。
それがダメってことはないのかも知れないけど、何か悲しいと思ってしまう。
なんて言葉で言えばいいか分からんから
脳内シミュレーションしたストーリー描くね
脳内ストーリー
「こうゆうのが作りたい!」と思い立つ。
AIに思っていたものにかなり近い完成物を渡される。
自分も何か手を加えたいけど、自分で0から創作したことはないから、触ってもクオリティが下がるだけな気がする。
何よりそんな事は非効率。
努力せずに努力した結果以上のものが手に入るんだから。
そしてAI創作物に溢れたネットの渦に自分のAI創作物を投げ込む。
達成感はほとんどない。
それどころか、同じようなことを考え、同じようにAIを使って、同じような作品を作る人間は大勢いる。
そんな中、わざわざ自分が作る意味はあるのか。
AIを使って、誰でも手軽に、大量に良作を作れる世界で、既に全て作り終わっている世界で。
自分が作る意味はあるのか。
いや、違うか。
AIに作ったんだ。自分が作ったものじゃない。
「自分で作る」楽しみを知らぬまま
—熱は冷めていく
——
結論:そこに愛はあるんかぁ!?
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